あんさんぶるの奏でる未来

ANSANBUL VISION
〜私たちの“今まで”を振り返り“これから”を語る対談企画〜

2011年にNPO法人としてスタートし、2023年からは社会福祉法人として障がいを持つ方への支援の輪を広げるために事業拡大を続けるあんさんぶる。着実に事業成長を続ける背景にある想いとは何か、組織を導く立場にいるお二人に話を伺いました。

井ノ上 勇二郎(いのうえ ゆうじろう)
理事長
井ノ上 勇二郎(いのうえ ゆうじろう)

伊丹市出身。自分が育ったこの街を、障がいを持つ方が幸せに暮らせる地域にしていきたいとの思いで2011年にあんさんぶるを立ち上げる。

田中 公宏(たなか きみひろ)
生活介護・管理者
田中 公宏(たなか きみひろ)

あんさんぶるがNPO法人から社会福祉法人への転換期にあった2021年入社。井ノ上理事長と共に、事業拡大に向けての組織改革に奔走している。

障がいをお持ちの方に、必要な支援が届けられていない。
その現状を目の当たりにした。

あんさんぶるの立ち上げは2011年。理事長の井ノ上さんが「地元の伊丹で、障がいをお持ちの方がずっと幸せに生きていける地域をつくりたい」との想いで事業を始めたと伺っています。まずは創業時の経緯やご苦労を聞かせてください。

【井ノ上】 そもそも、介護業界での私のキャリアのスタートは、伊丹市の重心型のデイサービス施設(※1)で働き始めたことでした。そこで知ったのは、伊丹市には支援を必要としている障がいをお持ちの方がたくさん暮らしているにも関わらず、サービスを提供する事業者が圧倒的に不足していることでした。 1.重度の身体障がいと知的障がいを合併している重症心身障がい児者を対象とした生活介護サービス。

障がいをお持ちの方に、必要な支援が届けられていない現状を目の当たりにしたんですね。

【井ノ上】 その時に働いていた法人でも引き受けきれない程のニーズがあり、不安を抱えながら暮らしているご家族がたくさんいました。そこで、重症心身障がい児者と暮らすご家族で構成する『伊丹市肢体不自由児者父母の会』から支援を受け、NPO法人として「あんさんぶる」を立ち上げました。

父母の会の親御さんたちからは、どんな声を聞きましたか?

【井ノ上】 当時は、支援のニーズに対してサービスを提供する事業が圧倒的に少ない状況だでした。そのため「新しい事業所をつくって事業展開してほしい」というご依頼を受けていました。いわゆる、『親なき後の支援』は介護業界にとって命題です。重心の方(※2)が安心して生涯を過ごせるグループホームをつくって欲しいという要望は、本当に切実なものでした。そこで私は「10年待ってください」とお伝えし、10年後のグループホーム設立を目指して事業を始めたんです。 2.重度の身体障がいと知的障がいを合併している重症心身障がい児者

あんさんぶるの奏でる未来
あんさんぶるの奏でる未来

法人を立ち上げた後の事業展開は順調でしたか?

【井ノ上】 NPO法人でしたので最初に会員が10人以上必要でしたが、ご依頼があった「父母の会」の親御さんが入っていただいて、立ち上げて1ヵ月で約30人の会員を集められました。おかげさまで当初は順調なスタートを切ることができたのですが、その後の事業展開には苦労もありました。

どんな点に苦労しましたか?

【井ノ上】 スタッフの採用やその後の定着という点です。一般的に、介護業界って人の出入りが激しいイメージがあるでしょう?あんさんぶるでも、最初の3年間は創業時の一体感みたいなものがあって、3年で約30人までスタッフが増えました。すごい勢いで事業を大きくできたことは嬉しかったのですが、そこから先は、他の法人と変わらないくらいの頻度でスタッフの入れ替わりがあり、伸び悩んだ時期がありました。

あんさんぶるの奏でる未来
あんさんぶるの奏でる未来

法人を立ち上げてから4年目以降、スタッフの入れ替わりが増加した。その原因はどんな点だと分析しましたか?

【井ノ上】 思い返すと、創業当時は自分も現場に入って、スタッフみんなに声がけをして「みんなで頑張ろう!」という空気感があったと思います。現場で背中を見せてスタッフを導いていく、とでも言うような。

事業を拡大していくと、井ノ上さんご自身が現場から離れざるを得なくなった?

【井ノ上】 その通りです。10年後にグループホームを建てる目標は絶対にやり遂げると決めていました。事業成長のためには採用が必須で、そのためには働く環境を整備する必要がある。その結果「今までは現場で一緒にがんばっていたのに」と、違和感を感じて、離職するスタッフも出始めていました。